介護職PR。大切なのは発信者の姿勢

介護現場における深刻な人手不足を解消するべく、厚労省が介護職のイメージ刷新に向けたPR活動を行なうとしています。もし厚労省が本気で取り組もうとするならば、どのような考え方が必要なのでしょうか。

介護業務の社会的評価がなぜ難しいか?

介護職に限らず、特定の職業のイメージ向上を図るならば、「その職業が社会的にどのような役割を果たしてきたのか」をきちんと評価することが必要です。その評価者となるのは、経済市場であれば「顧客」です。つまり、「サービスへの対価を支払う側」が、サービス提供者への適切な評価を行なうことが、その職業の社会的評価に直結するわけです。

しかし、介護保険という社会保険料と税金を財源とするしくみにおいては、お金を負担する人がすべて受給者であるとは限りません。加えて、支払われる単価は介護報酬という公定価格という形で、国が決定しています。そのために、誰が「適切な評価を行なえるのか」という部分があいまいになります。

その点では、同じ社会保険事業である「医療」も同様です。しかし、医療の場合は「病気やケガの治癒を図る」という、人類の長い歴史の中で培われてきた物差しがあります。昨今、緩和ケアなど生活の質とのバランスが問われる流れはありますが、それでも評価の土台となる部分については、社会全体で一応の共通認識が築かれているといえます。

専門職としての評価を揺るがしかねない流れ

対して、介護はどうでしょうか。17年前に介護保険がスタートしたとき、下地となる介護保険法では「本人の尊厳の保持」と「自立支援」という理念がかかげられました。しかし、何をもって「尊厳の保持」や「自立支援」の物差しとするのかという基準は、現在でも社会的な共通認識として確立しているとは言えません。「尊厳の保持」は、それ自体極めて主観的な概念であり、「自立支援」も要介護度やADLの維持・向上といった狭い範囲でとらえられてしまっている傾向があります。

いきおい介護保険前の歴史にさかのぼろうとすると、「かつて介護は家族が担っていた」という部分に行きつきがちです。つまり、「家族が担っていたことの代替え」という考え方が入り込みやすく、そうなると専門性が一気に見えにくくなります。現在、生活援助の人員緩和を図る動きもあります。これが「介護専門職以外でも提供可能」という流れになれば、「家族の代替え」という過去の認識が再び勢いを増してしまうことにもなりかねません。

このように、介護職をめぐる評価が揺れ動きがちな中では、原点に立ち返ることが必要です。それは何と言えば、介護保険スタート以降、現場が果たしてきた役割をきちんと棚卸しすることです。たとえば医療現場では、近年ようやく「患者の幸福度」という考え方に目が向けられるようになりました。しかし、多くの介護現場では、それ以前から「本人にとっての幸せとは何か」に着目しつつ、ゼロから実践を積み重ねてきた歴史があります。

社会を納得させるために必要な第一歩とは

確かに、こうした実績は「受給者以外の税金や保険料の負担者」には、すんなりと認識できるものではまだまだないかもしれません。しかし、公定価格を決める国ならば客観的な評価は可能なはずです。それを介護報酬という「評価を対価で示したもの」とセットで提示することで、社会全般で「介護職が(いずれ自分も当事者となる)高齢者の幸福度にどう貢献してきたか」が共有されるわけです。

ここで重要なのは、介護報酬とのセットという点です。どんなにイメージPRを図っても、一方で介護報酬の引き下げが続けば、社会一般としては「言っていることとやっていることにズレがある」と受け止めるのが自然でしょう。また、イメージPRも現場の実績をきちんと踏まえるものになっていなくては、「このPRはフィクション(架空のもの)ではないか」ととらえられる懸念があります。

いずれにせよ、問題の根っこは、公定価格を決める側に「現場の感覚に沿った評価をする覚悟」があるのかどうかにあります。その覚悟とは、国、厚労省が、本当に「高齢者の暮らしと幸福」へ真に思いを寄せることから始まるものです。PRを行なう側が、まず自分たちを振り返ることから始めるべきでしょう。

コメント[25

コメントを見るには...

このページの先頭へ