なぜ一人で死んでいくのか。介護保険サービスを浸透させるには

  • コラム
  • 宮川明子
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老々介護、あるいは配偶者の介護に疲れ切った果てに起きた悲しい事件は、メディアなどでよく目にします。いずれの場合も、その多くがどこからも支援を受けず追い詰められていった結果というもの。「なぜ、支援の手が届かなかったのか」と残念な気持ちになります。介護サービスを受けていない人たちには、さまざまな理由があります。それを尊重しながら、サービスを必要とする全ての人に手厚い介護サービスを提供するには、いったいどうすれば良いのでしょうか。

介護保険が使われない背景

介護業界で働いていると、介護保険は全国的に広く知られているものと考えています。ですからこのような事件を見聞きすると、「なぜ、介護保険を使わなかったのか」と残念でなりません。

しかし、例えば夫婦二人で暮らしていて外からの情報は地上波のテレビだけ、社交的ではない等という環境にある場合、介護保険やその内容を知る機会はあるでしょうか。また、自分がそのサービスを受けられると思っていないこともあります。もちろん、介護保険を知らない人もいるかもしれません。

こういう方々に向けたアウトリーチを、積極的に行うことが必要です。オレンジカフェなど地域にある交流の場はとても重要で効果もあります。しかし家にこもりがちの方は、こういう場所を苦手とすることも多いでしょう。やはり、何か困難を抱えている高齢者を見つけ、支援する方法を考えなくてはなりません。

さらに、中には「お上の世話にはならない」という気持ちを持つ方も。そういう方々には、「きちんと保険料を支払っているのだから、医者にかかるのと同じ」など簡単に説明することが必要だと思います。例えば高齢者が見るテレビニュースの前後に、介護保険に関する簡単な説明コーナーを設けるのはどうでしょうか。

認知度の低い地域包括支援センター

また、地域包括支援センターが何のための施設なのか、理解して人はあまり多くないようです。介護に関わっていない人には、全く知られていないと言っても良いでしょう。そもそも、介護で困ったときに相談しに行く施設があるという、その存在すら知らないと思います。

「いろいろ聞かれたくない」

「なんとなく嫌だ」

等という気持ちがあり、困ったとき区役所の高齢担当に相談するのは、よほど強い動機がないと行き辛さを感じるようです。一緒に付き添ってくれる人が、もしかしたら行けるかもしれません。しかしその『付き添ってくれる人』(ここでは民生委員が想定)を探すのがさらに大変。地域包括支援センターは「何を支援するセンターなのか」がすぐ分かるよう、名称を変更した方が良いのではないでしょうか。

自分にもっとも近い地域包括支援センターがどこにあり、いったい何をする場所なのか。意識している人は多くありません。何らかの方法、例えばバザーや定期的な新聞、センター内で若者も興味を持つような講座の開催など。いろいろな世代の人が気軽に集まり、誰でも行きやすい施設にすることが有効だと思います。

元気と死との間における介護

ときどき介護疲れによる殺人事件のニュースが起きると、ネット上ではそのニュースについてコメントが寄せられます。そこに、例えば「早く安楽死を認める法律を作ってほしい」等というコメントが多いことに驚きを隠せません。他人に介護される、または痛い・苦しい思いをするくらいなら、早く死んだ方が良いということでしょうか。

元気がなくなったら即『安楽死』。これは、『元気』と『死』との間が抜け落ちています。この間をどのように生きるのか。これこそ介護の分野です。

携わっている施設が、どんな介護や看護をしているのか。自分や親が「使ってもいい」と思える処遇をしているのか。あるいは、痛い・苦しい思いをせず、最後のときまで穏やかに好きな場所で暮らし、眠るように息を引き取る方法があるのか。これは、私自身もまだ模索しているところ。「元気と死の間」をポジティブに向き合うことができる方法をしっかり確立し、どこの施設でも共有できるようにする必要があるでしょう。

人生の終焉が痛い・苦しいものにならないよう、「恐ろしいもの」ではなく「しっかり介護を受けることができる」という認識を持ってもらえるよう、関係分野で協力できればと思います。

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