高齢者の定義変更の提言が意味するもの

日本老年学会と日本老年医学会は、高齢者の定義を「75歳以上とすることが妥当」という提言を出しました。また、現行の高齢者の定義である「65歳以上74歳未満」については、準高齢者としています。この提言が、社会的にどんな意味をもつことになるのでしょうか。

提言者の社会的影響力をまず頭に入れる

日本老年学会といえば、発足から50年以上の歴史とともに、7つの学会(日本ケアマネジメント学会も含まれています)の連合体として大きな社会的影響力を持っています。また、7学会の1つである日本老年医学会は、近年では「高齢者に対する適切な医療提供の指針」など、厚労省が管轄する研究事業を手がけています。つまり、両団体による「提言」は、国の社会保障施策の礎にもなるわけです。

その点を頭に入れたうえで、2つの問題を指摘したいと思います。ちなみに、今回の提言はあくまで「概要」であり、「詳細な報告書は後日発表する予定」とのこと。とはいえ、先に述べたような「社会的影響力」の大きさを考えれば、「概要」が独り歩きすることが当然懸念されます。また、詳細な報告書のどういった点に着目すべきかという意味でも、ここで指摘しておくことが必要と考えます。

今定義変更は「必要に迫られたもの」なのか

まず、問題にしたいのは、今回の提言の「目的」がよくわからないという点です。確かに、提言では2つの意義を強調しています。1つは、「従来の定義による高齢者を、社会の支え手でありモチベーションを持った存在と捉えなおすこと」。2つめは、「迫りつつある超高齢社会を明るく活力あるものにすること」。

しかし、その2つの意義と、今回の高齢者の定義づけを変えることがどうも結びつきません。従来定義の前期高齢者の中に、「活発な社会活動が可能な人が大多数を占めている」としていますが、それなら「元気な高齢者が増えている」という分析だけでいいわけで、「定義変更をしなければならない」という切迫した事情があるわけではありません。

また、「65歳以上を高齢者とすることに否定的な意見が強くなっている」としていますが、それが「高齢者と呼ばれること」が嫌なのか、「(たとえば、介護保険での65歳以上が第一号被保険者となるなど)社会保障上の括り」まで含めて、その括りを拒絶したいと考えているのかは不明確です。仮に「高齢者と呼ばれるとモチベーションが下がり、社会的な活動力恐れがある」というのであれば、その科学的根拠も同時に示すべきでしょう。

なぜなら、先述したように、こうした定義づけは常に施策に活用されるからです。厚労相は「社会保障制度における年齢見直し」には慎重姿勢を示しましたが、では、社会保障改革を推し進めたい財務省や首相官邸はどうでしょうか。仮に、具体的な社会保障制度の見直しに活用されるとなれば、提言を出した学会としても重い責任がかかってきます。

「高齢者の呼称が嫌」という風潮こそに問題

もう1つの問題は、「元気な高齢者が増えている」という部分において、介護や医療における重度化防止の取り組みがどこまで寄与したのかという掘り下げが足らないことです。

介護現場では、たとえ高齢者であっても「できること」はまだたくさんあり、その先にある社会参加の姿をケアの目標としています。つまり、現場視点に立てば、「高齢者の定義」にかかわらず、その人らしさを引き出すことは当たり前のこと。その部分への評価をきちんと行なわないまま、安易に「定義」を変えることがむしろ(社会保障の見直しも含めて)現場を混乱させる点に注意が必要です。

そもそも「高齢者と呼ばれるのが嫌」というのは、その言葉が持つ負のイメージが社会的に拡大されていることも要因と思われます。高齢者だからこそ若い世代では築けない知恵や文化の蓄積があり、それを尊重することが「豊かな社会を作る」ための土台となるはず。その点で、「高齢者と呼ばれるのが嫌」という世論に単純に乗ることは、わが国の精神文化の貧困を象徴しているとも言えます。よりよい社会のために学会として主導すべき世論は何か。もっと深く考えてもらいたいものです。

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