「生産性」という言葉をめぐる課題

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厚労省で、社会援護局の主管課長会議が開催されました。高齢者介護の分野でも関心が高いのは、福祉・介護人材等の確保対策等についてでしょう。この説明資料の中では、やはり施策の目的として、「生産性向上」という言葉がいくつも上がっています。

生産性向上推進フォーラムで語られたこと

厚労省では、3月12日に(オンラインで)「介護分野における生産性向上推進フォーラム」を開催し、介護給付費分科会長も登壇しています(本ニュース参照)。そこでは、介護分野における「生産性向上」の意味と、それを図ることの意義が示されました。

要旨としては、業務改革の推進によって働く人に余裕ができ、高齢者と向き合う時間や安全・安心のサービス提供が可能になる。それによってサービスの質が向上する──これをもって「生産性の向上」としています。

強調されているのは、「高齢者の安全・安心」そして「サービスの質(自立支援・重度化防止や高齢者の尊厳確保を示すと思われます)」です。要するに、介護業務が目指す「生産性」の指標は「量」ではなく「質」であり、厚労省もこの点への理解を求めているわけです。

なぜ医療では「生産性向上」が登場しない?

それでも、釈然としないという人もいるでしょう。上記の考え方を訴えるのであれば、「現場の負担軽減を図り、サービスの質向上を目指せる環境を整える」とすれば足ります。介護現場に人材を引きつけるための魅力を発信するのなら、「(負担軽減等による)働きやすさで、介護の社会的価値を高める」などのメッセージを打ち出すこともできるでしょう。

なぜ、わざわざ「生産性向上」という言葉を用いようとするのでしょうか。

たとえば、医療分野に目を移してみましょう。近年の診療報酬改定の説明資料に目を通しても、「医療職の負担軽減」は目立つものの、「生産性」という言葉は使われていません。医療も質が問われるのは介護と同じですが、どうも観点が異なるようです。

そもそも、今回の介護報酬・基準改定を見ると、さまざまなサービスで「定員や人員配置の緩和」が行われています。「量ではなく質」を示唆しながら、実際は「従事者1人あたりの高齢者の数」という「量」にスポットを当てているわけです。このあたりも、「釈然としない」背景の一つではないでしょうか。

「利用者と向き合う余裕がとれる」の意味

ここで、生産性向上の姿として取り上げられる「業務の効率化によって利用者と向き合う余裕が増える」という点に着目します。前提となるのは、「利用者と向き合う余裕により、サービスの質も向上する」という考え方です。

確かに、専門職として「利用者と向き合う時間」が増加すれば、その人の生活観や生活課題をより深く把握することはできるでしょう。ただし、「利用者と向き合う時間が増える」ことは、それ自体、従事者には別の負担も増していく可能性に注意が必要です。

たとえば、認知症の人と向き合うとして、状態が穏やかな人でも中核症状が進行していれば、その人の認識する時間や空間に寄り添うことが欠かせません。支援者側のペースを当てはめようとする意識が生じれば、その時点で相手との関係性が途切れがちです。

このあたりは、専門職として理解はできても、人としての感情には負荷がかかります。介護は頭脳的・身体的労働のみならず「感情労働」と言われる所以です。相応の研修を積んだ人でも、現場経験が浅ければ、この負荷に対処するのは簡単ではありません。

保険料の負担者を納得させやすいから?

加えて、向き合う時間が増えるほど、水面下の課題は次々と湧き上がります。言ってしまえば、人の直面している生活課題に際限はないからです。確かに、それまで気づかなかった課題に「気づく」ことは大きな収穫です。しかし、それらが複雑に絡み合い、優先順位の整理がつきにくくなれば、やはり経験の浅い人には大きな負荷となるでしょう。

つまり、利用者に向き合う限り、介護に「ゴール」はないわけです。ADLや意欲などの達成指標はあるとしても、それは人の「一部分の経過」に過ぎません。周囲との関係性や環境は変化し続けるわけで、その総体に拙速な結果を求めれば、従事者側の「こんなはずでは点」というつまづきが生じやすくなります。

特に、新型コロナ禍などの環境変化で「してきたはずの努力が報われない」というケースが生じやすい環境下ではなおさらでしょう。

「生産性」という言葉には、(使う側の意図の有無にかかわらず)「到達点」という圧力が常につきまといます。現場を、先の拙速な結果に追い立てやすいメッセージが込められてしまっている──ここに大きな問題があります。

「生産性」という言葉を用いるのは、恐らく高騰する保険料を支払う側を納得させやすいという政策的な意図もあるのでしょう。とはいえ、そこに込められたメッセージに現場が振り回されるとすれば、ますます支え手は追い込まれかねません。やはり介護分野では、いったん「生産性」という言葉は取り下げる必要があるのではないでしょうか。

◆著者プロフィール 田中 元(たなか はじめ)

昭和37 年群馬県出身。介護福祉ジャーナリスト。

立教大学法学部卒業後、出版社勤務。雑誌・書籍の編集業務を経てフリーに。高齢者の自立・ 介護等をテーマとした取材・執筆・編集活動をおこなっている。著書に『介護事故完全防止マニュアル』 (ぱる出版)、『ホームヘルパーの資格の取り方2級』 (ぱる出版)、『熟年世代からの元気になる「食生活」の本』 (監修/成田和子、旭屋出版) など。おもに介護保険改正、介護報酬改定などの複雑な制度をわかりやすく噛み砕いた解説記事を提供中。