契約弱者サポートの本質を見失うな

書名・押印・対面主義からの脱却──今年7月の「骨太の方針2020年」で、政府が強く旗振りを行なっている改革の流れです。この波は介護分野にも訪れ、11月9日の介護給付費分科会では、「介護人材の確保・介護現場の革新」における方策の一つとして検討事項に上げられました。ここでは、特に認知症の人の権利擁護との関係にスポットを当てます。

「押印」有無は民法上の契約効力とは別問題

分科会で示された見直しの方向性としては、ケアプランや重要事項説明書における同意などに際して「押印を求めないことを可能」とする案が上がっています。同時に、その場合には「代替え」案を示すとしています。

そもそも、こうした場合の押印というのは、民法上などでは「(個別法で特段の定めがある場合を除いて)契約の要件」にはなっていません。契約というのは、あくまで両者の「合意」によって成立するものであり、押印をしなくてもその効力に影響は及ばないないわけです(内閣府等の押印についてのQ&Aより)。

もちろん、解釈通知などで「利用者・家族の署名・押印をもらうことが必要」という定めはあります。しかし、それはあくまで介護保険制度上の運営規則の問題であり、「契約」の理念とは切り離して考えるべきものです。電子署名などの活用といった代案も同様です。

この点を掘り下げれば、ケアプランや重要事項説明書に押印がなされたとしても、「利用者側の理解・納得が得られた」とは必ずしも言えないことになります。だからこそ、先の「押印についてのQ&A」でも、「文書や契約の成立過程」の証となるメール等のやりとりの保存などを示しているわけです。「実質的に合意が形成されたかどうか」を問題にするという施策側のスタンス変更が見て取れます。

押印廃止と実務の簡素化、実は比例しない?

さて、この合意形成の過程を問題にするというスタンスで「代替え案を出す」とした場合、上記で述べたように「過程を証明するもの」が必要となります。国の本気度にもよるのですが、本当に「過程を明らかにする」となれば、メール等のやり取りの保存といった手段だけで済む話ではなくなるでしょう。

つまり、本気で「合意形成の過程」に踏み込めば、利用者との交渉過程の詳細な記録(録音等含む)なども必要となるわけです。ところが、厚労省としては「実務の簡素化」を旗印の一つにしているわけで、「そこまでは踏み込まない」となる可能性は高いでしょう。

となれば、今回の見直し案は、まっとうな合意形成を目指したものではなく、あくまで「実務の簡素化」ありきの施策の上に成り立っていると考えるべきでしょう。懸念されるのは、中途半端な「やりとりの保存」だけで「合意が形成された証拠」とみなされてしまうことが、かえって(利用者に合意を強制するなど)悪徳な事業者が逃れやすい道を作ってしまうのではないかということです。

先に述べたように、「押印」は契約の要件ではありません。しかし、「合意形成の過程」を示すものとなれば話は別です。たとえば、訴訟などに持ち込まれた場合、裁判において「行政のお墨付き」と認められてしまう恐れがないのかどうかは検証が必要でしょう。

一部自治体で推進中のリンクワーカー拡充を

特に、被害を受けやすいのが、認知症などによって判断能力が衰えている人です。成年後見制度や、その他何らかの権利擁護にかかる事業を利用している人でない場合、押印・署名を廃止しても、上記のようなリスクはかえって高まることになりかねません。

必要なのは、今回のような改革を行なうのであれば、認知症の人の意思決定・権利擁護にかかる保障について、もう一歩固めておくことです。たとえば、認知症と診断された時点から「事業者と本人の交渉」の間に入る第三者の立ち合いも求められるでしょう。

一例としては、京都府などで行なっている認知症リンクワーカー事業の拡充などがあげられます。リンクワーカーとはスコットランドなど欧米で見られるしくみで、認知症の本人中心の「生き方計画」などを策定するパートナーです。京都府では、初期支援チームと連携しつつ日常生活支援等、必要に応じた「支援へのつなぎ」を手がけています。

このリンクワーカーについて、ケアプラン策定に際しての利用者とのやり取りやサービス事業所との契約交渉に際して、「同席するパートナー」といった立ち位置を明確にするわけです。そのうえで、国による全国一律のしくみにするといった方策が考えられます。

今回の「署名・押印主義等からの脱却」といった国の施策方針は、それ自体インパクトはあるものの、それは「誰のためなのか」という視点がないと経済効率のためのスローガンで終わりかねません。それによって、いわゆる契約弱者への恩恵が確実に行きわたるのか。そうでなければ、それを補うための施策を常にワンセットで考えるべきでしょう。

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