看取り期訪問介護を評価する意味

10月22日の介護給付費分科会では、訪問介護・訪問入浴介護についての改定の方向性が議論されました。注目される論点の一つが、利用者の看取り期における対応への評価です。具体的に、どのような改定が考えられるのでしょうか。また、訪問介護ならではの役割の中で、評価をどう位置づけるべきでしょうか。

終末期の状態像が多様化・複合化する可能性

厚労省が公表する人口動態調査において、2019年の死因順位が注目されています。それによれば、がんや心疾患が1、2位を占める状況は変わらないものの、老衰や誤嚥性肺炎、アルツハイマー病などによる死亡者数や割合が増えています。医学的な知見が厚くなる中で詳細な死因が明らかになっていることもあるでしょう。一方で、医療自体の進歩で中高年期の疾病の治癒率が上がり、その結果として老衰などが増えている可能性もあります。

いずれにしても、高齢期の死因の多様化・複合化が進んでいるとも言えます。

終末期における本人の状態変化の傾向は、主な疾病によって大きく変わることが知られています。末期がんのように、ある時期から急速に状態が低下する流れをたどるケースもあれば、ゆっくりとなだらかに変化していくケースもあります。中には、最期まで一定の生活機能やコミュニケーション機能が維持されていたという例も数多く見聞きします。

「本人の持てる力・可能性」は最期まで

そして、上記のように死因の多様化・複合化が進む中では、最期まで「本人の持てる力・可能性」が(医師による予後予測とは異なる形で)発揮されるケースなども増えてくるかもしれません。「本人の持てる力・可能性」は、いわば本人の主体性の現れといえます。

そこから、本人の社会性や家族や知人との新たな関係性が生まれることもある点を考えれば、人生の最期においても人は成長し、遺された者との新たな絆を構築する力があります。それをサポートすることは、まさに究極の自立支援と言えるのかもしれません。

この点を考えたとき、医療では「回復の見込なし」と判断された後も、介護が「できること」はたくさんあります。たとえば、訪問介護によって清拭や体位交換、排せつ処理などをきちんと行なう過程で、本人のさまざまな力(こちらの手を握る力、視線による訴えなど)が表出してくることもあるでしょう。

これをきちんとキャッチし、家族等に伝えることで新たな関係性の構築が図られるとすれば、その時点での専門性は医療と同等以上の評価が得られてしかるべきといえます。また、キャッチされた「本人の可能性」は、本人の意思決定の重要なポイントにもなりえます。その点で、ホームヘルパーは、国の定める意思決定のガイドラインを実践する軸となる専門職と位置づけられるはずです。

「生活の継続性」こそが看取り期評価の土台

こうした点を踏まえつつ、看取り期の訪問介護の評価を考えてみましょう。想定されるのは、現行で訪問看護や定期巡回・随時対応型などに算定されているターミナルケア加算を「訪問介護」にも導入するという方法です。ただし、この加算をプラスするだけで上記のような「訪問介護」の役割を評価するのは、何か足らないような気がしてなりません。

忘れてならないのは、先に述べた「本人の持てる力・可能性」は、疾病の状況や身体的な変化と異なり、長年の生活の延長にあるということです。となれば、それまでの訪問介護による「生活を整える」ことの実践が土台となっているわけです。この「土台」部分への評価がしっかりとなされていてこそのターミナルケア加算ではないでしょうか。

その点を考えたとき、要介護者の生活の継続性という観点から、改めて「訪問介護」そのものの評価体系を見直すことが不可欠です。たとえば、ターミナルケア加算は創設するとしても、それまでの生活の継続性も基本報酬の体系の中で同時に評価し、それを「土台」としていくことが求められます。

人の人生は「線引きできない」という原点に

制度上のターミナル期は「医師の見立て」が一つの基準ではあります。しかし、本来はその人が生きてきた道程そのものがターミナルであるという考え方もあります。

この考え方に立てば、軽度の段階からしっかりと「生活の継続」を支援することが、その人らしい人生の終末には欠かせません。極論すれば、軽度者を給付から外すことは、国が目指そうとする「看取り」のあり方を根底からくつがえすことになるわけです。

今回の見直しで「看取り期における対応の充実」をテーマにかかげるのであれば、軽度者に対する訪問介護の提供がもたらす価値を同時に評価することが欠かせません。人の人生は制度によって線引きされるものではない──この原点が問われているといえます。

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