不透明な刑事訴訟から従事者を守る

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長野県安曇野市の特養ホームで、2013年12月に入所者が死亡した事故。東京高裁が被告の准看護師に対する一審の有罪判決(罰金20万円)をくつがえし、無罪を言い渡しました。一審の有罪判決が現場の介護にもさまざまな影響を与えたわけですが、一従事者が業務上過失致死等によって刑事責任を問われるという状況は改善されるのでしょうか。

なぜ、その従事者は起訴されてしまった?

一審の有罪判決は「罰金20万円」と、業務上過失致死罪としては軽い判決です。一審の時点から、入所者の(低酸素脳症による)死亡が「事故当日のおやつによる窒息」が原因なのかという点でのあいまいさは解消されませんでした。量刑はそのあたりが影響していると思われますが、本来であれば一審から無罪判決となる可能性はあったわけです。

しかし、どんなに量刑が軽くても、有罪となってしまえば被告は前科を負うこととなり、その人生に多大なダメージが付きまといます。その点を考えれば、そもそも起訴すべき事案だったのかどうかが問われます。今回の裁判ケースを全体として見た場合、警察による「捜査ありき」、検察による「起訴ありき」という状況がどうしても浮かばざるを得ません。

ちなみに、2018年に大阪の障がい者支援施設で、職員が入浴時の湯温確認を怠ったことにより、入所者が熱湯によるやけどで死亡したという事故がありました。こちらは、死亡の因果関係がよりはっきりしているにもかかわらず担当職員は不起訴処分となっています。

こうなると、日々事故リスクの高いケースと向かい合う現場従事者にとっては、起訴と不起訴の境について釈然としないものがあるでしょう。つまり、今回の「逆転無罪」という判例をもってしても、現場従事者の不安は依然として付きまとうことになるわけです。

構造的な原因究明のための公的第三者機関を

こうした現場の不安を確実に解消するには、今後介護現場で起こりうる事故等に対して、その原因究明を警察や検察以外の公的な第三者機関に委ねられるしくみが必要です。

もちろん、そのしくみに合わせた刑事・民事訴訟法の改正までもっていくのは難しいかもしれません(実際、医療事故に関しては医療事故調査制度がありますが、厚労省は、その報告書が刑事・民事訴訟法の規定を制限することはできないとしています)。

ただし、事故の発生を特定の個人の責任によるものではなく、構造的な問題があることを専門分野の視点で明らかにすることはできます。今回のケースに限らず過去の介護事故の裁判を見ても、検察も裁判所も(また、時として弁護側──国選弁護人なども)介護現場および業務が置かれている特有の事情(現場の人材不足や業務負担の大きさなど)への理解不足を感じることが多々あります。

たとえば、専門職や介護分野に通じる有識者の視点で、その事故が起こりうるリスクの評価をまとめる(場合によっては、医療分析のできるメンバーを随時参加させ正確な死亡原因なども究明する)ことができれば、検察側の起訴判断をけん制しやすくなります。また、起訴されたとしても、裁判過程で公的性の強い証拠として採用されれば、従事者個人が罪を負う流れを押しとどめやすくなります。

厚労省には今回のような裁判への責任がある

もっとも、こうしたしくみを立ち上げるうえで警察、検察側の抵抗も強いことが予想されます。となれば、厚労省の本気度が問われることになるでしょう。というより、厚労省には「その責務がある」はずです。

なぜなら、厚労省は自立支援・重度化防止に向けた「現場の取組み強化」を施策方針の軸にかかげているからです。たとえば、利用者の「自分でできる範囲」を広げていくとして、その過程では、生活機能の拡大にともなう一時的なリスクの上昇も想定されます。

もちろん、事故防止のための現場のスキル向上は必須ですが、夜間の人員などが充足していない中では安全管理にも限界が生じます。ICTやロボットによる効率化だけで対応できると考えているとすれば、現場の実情を知らない検察や裁判所と同じことになります。

仮に、「自立支援・重度化防止は進める」、しかし「労働力人口の減少や介護保険財政のひっ迫で、これ以上の人材確保策はお手上げ」──これが厚労省の本音であるとしましょう。それならば、なおのこと「現場従事者個人に過失責任を負わせない」という決意をもって、それを形にすることが必須でしょう。

現在、新型コロナの大規模感染が全国に広がりつつあります。どこの地域でも介護人材は疲弊しつつある中で、思わぬ事故の急増も懸念されます。「現場従事者を守る」ための具体的なしくみに向け、ただちに専門委員会の設置などに着手すべきではないでしょうか。

◆著者プロフィール 田中 元(たなか はじめ)

昭和37 年群馬県出身。介護福祉ジャーナリスト。

立教大学法学部卒業後、出版社勤務。雑誌・書籍の編集業務を経てフリーに。高齢者の自立・ 介護等をテーマとした取材・執筆・編集活動をおこなっている。著書に『介護事故完全防止マニュアル』 (ぱる出版)、『ホームヘルパーの資格の取り方2級』 (ぱる出版)、『熟年世代からの元気になる「食生活」の本』 (監修/成田和子、旭屋出版) など。おもに介護保険改正、介護報酬改定などの複雑な制度をわかりやすく噛み砕いた解説記事を提供中。